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経営企画部 谷口 慈雨子 戦後最長といわれたいざなぎ景気は、昭和44年度をピークにして下降線をたどりはじめた。このことは次にしめす板橋区における工場数の推移にも如実に現れている。 しかし、特金の生産は増加し続けていた。 1970年(昭和45年)5月15日、上野の森にある神田精養軒にて750万円の予算にて社員、ご来賓300人を招いて、特金創立30周年記念の式典が催された。 谷口周社長は上機嫌で、社員一同から贈られた銅像の除幕式をした。 谷口 周社長の社員への挨拶 本日当社創業30周年に当たり、従業員諸君に対し一言ご挨拶を申し上げます。今日帰りに差し上げます記念品の一部として栄光のパイオニアという図書が入れてありますが、これを読まれると凡そお分かりと存じますが、私は現在のハガネ鋼の圧延技術に関する研究に幼少の頃から苦学力行し、幾多の辛酸をなめ、昭和15年5月に現在地に於いて独立創業しましたが、発足後間もなく大東亜戦争勃発敗戦後の苦難を乗り越えその後の変転きわまりない世相に対処し業績も年毎に向上しつつ漸くにして規模或いは技術面に於いて業界屈指の中に数えられる今日の特金まで漕ぎつけ、ここに満三十周年を迎えることができました。然し私が独立してからは今申し上げました通り満三十年となりますがこの圧延に関する技術の研究については通算五十五年の業暦を持って居ります。この永年に亘る経験を十二分に生かし今日の隆昌の特金を築き上げましたことは勿論お得意様があってのことではありますが何はさておいても先ず生産があってこそ始めて企業が成り立つのであります。 この生産こそ諸君の汗と油の結晶であることを決して忘れることができません。永年に亘る諸君のご苦労に対し心から深甚なる感謝の意を表します。企業が隆盛になれば諸君を初めご家族に幸福をもたらすことは当然であります。それには先ず諸君の日ごろの勤勉努力によるものであります。どうぞ今後の弛まぬ精進を期待してやみません。 私も最早七十一才の高齢に達し足が些か不自由のため最近あまり現場へ出入りいたしませんが技術上の改善・設計等については日夜怠ることなく常に研究検討に余念なく今後も尚つづけて行くつもりであります。諸君も未だ若い色々と良いアイディアを生み出し最高の製品と生産性向上に大いに専念していただくことをお願いします。 以上まことに簡単ですが本日の記念祝典に際し今後のご健闘を期待して一言私の挨拶とします。 フェザー安全剃刀株式会社の岸田壽朗社長 殿からは、次のような御祝辞をいただいた。 この度特殊金属工業株式会社におかれては創業三十周年を迎えられ本日ここに盛大なる記念の祝賀会にご招待を頂き御祝辞を申し述べる事は誠に光栄であり旦感謝にたえません。 弊社は戦前舶来材に依存しておりましたがはからずも貴社の創業間もなく縁あって今日まで長年にわたり恙なく姉妹会社のごとき気持ちにて取引をさせて頂いておりますことは無量のよろこびであります。思うに貴社は我が国に於いて磨特殊鋼帯の専門メーカーとしてその品質、精度の優秀なる事は等しく斯界の認めるというところでございます。就中谷口社長殿は大正八年以来の日本に於ける磨帯鋼製造の創始者としてその半世紀を「一生一業」の信念を以って本事業に精魂を傾けられその豊富なる経験と卓越なる技術とに依って幾多の辛酸を乗り越えられその間常に斬新なる設備を考案され精度の向上に努められてこられました結果昭和四十三年には栄誉ある紫綬褒章を受けられました事は技術者として又高級製品の企業会社として最高の誇りであり始終「薄物の特金」としての真価とその名声を広く内外に博し業界に確固たる地位を築かれた事はまことに欣快に存じます。 何卒今後ともに社長殿をはじめ社員御一同の熱誠こもる協力により長い歴史と伝統を大切に守られ益々御発展の上社会に貢献せられますようお祈り申し上げ御祝辞といたします。 昭和四十五年五月十五日 フェザー安全剃刀株式会社 取締役社長 岸田壽朗 殿 昭和45年には次の方々が入社された。 長谷山準吉氏は秋田県雄勝郡羽後町出身で羽後町立田代中学校卒業後、野村潤氏の紹介で入社。見習工として発送係、圧延係を経て47年3月準作業員、48年3月本作業員となり圧延3課、57年7月埼玉特金へ出向。58年9月本社特作1課、63年4月埼玉特金出向、圧延課圧延1課勤務となる。平成20年冷延材製造部圧延グループ。圧延一図筋のベテランである![]() 飯沼泰男氏は千葉県鴨川市出身で鴨川中学校卒業後、新卒入社。昭和47年5月本作業員昇格。昭和59年コイルセンター課班長、62年4月製造部コイルセンター課係長、平成9年製品切断グループアシスタントマネージャー、平成20年10月冷延材製造部製品切断グループ切断2T。残念ながら体調がすぐれないにもかかわらず、切断のベテランとして後輩を指導し現在に至る。 ![]() 鈴木 豊氏は千葉県鴨川市の出身で鴨川中学校卒業後、新卒入社。見習工として発送係、圧延係を経て46年3月準作業員、48年2月本作業員となり圧延3課、57年7月埼玉工場異動。63年10月から台湾特金立上げと圧延技術指導で約3カ年間出向。平成3年第1製造部圧延2課、平成11年4月冷延材製造部圧延グループアシスタントマネージャー、20年4月圧延グループ副作業長。寡黙だがその人柄、実力はだれもが認めるところで、初のマイスターとして後輩の指導にあたられている。 小渕愛子氏は長崎県南島原市出身。昭和45年3月長崎県立口加高校を卒業後、新卒入社。総務部へ配属。48年製造総務へ異動。同年4月13日佐藤和夫氏と結婚退社。48年は福井工場の建設が始まった年で当時佐藤氏は技術係だったので4月末には福井へ出向した。現会長が福井へ建設進捗状況を視察に行った折、新婚の話を聞いて気の毒に思ったのだろう、旅費を出して福井へ呼び、会社の車も提供して北陸見物をプレゼントしたという。 赤司種世氏は昭和45年11月中西商会に入社し、合併で大阪特金商事株式会社の一員となった。昭和49年10月から平成11年2月15日まで営業事務、経理を受け持ち手堅く大阪営業所を切り回されていた。 貞島なつ子氏は大正11年8月生まれ。昭和45年11月製品係として中途入社。梱包作業をしていた。若い時から力仕事に携わっていたらしく重いコイルを自在に扱っていた。 笹谷五郎氏は明治45年生まれ。兵庫県三木市の出身で谷口栄一前社長の親戚。昭和45年5月入社。入社後間もなく韓国金属へ輸出したプラントの技術指導員として1年ほど韓国へ出向。その後、熱処理係として洗浄やBAを担当して、5年ほどで退社された。 谷口慈雨子は昭和44年青山学院大学経営学部に入学すると同時に電算機室でアルバイトを始めた。特金が当時使用していたコンピューターは国産ベストセラーの事務用小型コンピューター、富士通FACOM230−10であった。本体は8ビットCPUにメモリー8KB、内蔵64KB磁気ドラム(書き間違いではない)、言語はCOBOL、紙テープを穿孔してプログラム、データを読みこんだ。 なにしろ媒体が紙テープなので、其のころの電算機業務の大半は、はさみとのりでなりたっていて、紙テープを切ったり貼ったりして仕事をしていた。コンピューターの記憶容量はわずかばかりで、径45cmもある重い円盤状の磁気ディスクを抱えて駆けずり回ったものだった。 小川原室長、大塚高良氏というメンバーで工程管理システムを山積法で行うことを計画していて、工場中二階にあった工程管理室の階段下倉庫を改造した電算機室にFACOM230−10はあった。そのころは壁一面に貼った全紙大のグラフ用紙に工程毎の進度を書き込んで管理していた。其の手伝いをしながら、最初に取り組んだのは給与計算で、それまで総務の谷口松子氏がソロバン、手書きで行っていたのを、計算方法を聞き取りしながらプログラムに書き換えて全面的にコンピューターに乗り換えた。 続く・・・ ◆ステンレス焼入れ材なら特殊金属エクセルへ ステンレス焼入れ帯鋼(コイル)、板材を小ロット短納期で製造致します www.tokkin.co.jp |
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