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zoom RSS テーマ「Matsuoka Foundation」のブログ記事

みんなの「Matsuoka Foundation」ブログ


私 ”一身上の都合により”

2015/12/21 08:00
品質管理本部 松岡です。

一身上の都合により、やめる事となりました。
皆さん今まで本当にありがとうございました。

思えば私が特金に入社して早20年が過ぎた。
なぜ、特金に入社し、働いているのか、これまでブログを書きながら探ってきた。久しぶりになぜなぜ分析をしてみると、

なぜ特金に入社したのか?       もの作りが好きだから。
なぜもの作りが好きなのか?       ジオラマ作りが趣味だったから。
なぜジオラマ作りが趣味だったのか? ガンダムが好きだったから。
なぜガンダムが好きだったのか?    ガンプラを毎週買えたから。
なぜ毎週買えたのか?
     ちょうど週の小遣い300円でガンプラが買えた。
     釣りキチで、釣りはお金を使わないので、全部ガンプラに注ぎ込めた。

もの作りが好きなので、メーカーで働く事を夢み、その基本は金属だろうと考え、高3の時に自分の進路を決めた。その根源は300円の小遣いを与えてくれたくれた両親であった。

・会長が私を雇って下さり、特金の仲間入りをした。
・特金に入社し、Hマネジャーのかっこいい仕事ぶりにあこがれた。
・K野さんにご指導頂き、たくさんの仕事を覚えた。
・3食付き、寮から自転車で通勤していた為、すこぶる体調が良かった。
・遅刻しそうになり、みんながラジオ体操をしている中、タクシーで登場した事もあった。
・自信がついた初めての仕事はK社向けのTA−TL加工。泥臭く現場で働く事の喜びを知った。
・イノベーション活動を指導頂いたT松さんの最後のあいさつでは泣きそうになった。
・社長は私を重要な業務に抜擢して下さった。
・どんなに失敗をしても、M上司は私を信じてくれた。
・周りのみんなもいつも助けになってくれた。
・たくさんのお客様にも育てて頂きました。
・そして今も充実した仕事が出来ている。

とても、とても、とても感謝しています。

だから、体の事を少し考え、毎日食べているポテトチップをやめようと思います。末永く特金で、みんなと働ける様に。
これからも宜しくお願いします。

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私 ”ガンダム”

2015/12/02 08:00
品質管理本部 松岡です。

もう1つはまったのがガンプラ。
毎週日曜日の朝、300円を握りしめヤオハン正門に並び、1/144スケールのガンプラを購入した。
やはり連邦よりジオンのモビルスーツが狙いなのだが、並ぶのが遅いので、既にいいやつは売れてしまっており、ホワイトベース、ビグザム、ムサイ、ザク、ゾック、ジム等欲しくないやつばかりが集まった。

作る事が楽しいので、極力その時間を長く使用と、色を塗ったり、ジオラマを作ったりと少しでも長く飽きない様にした。
・ジャブローでジムがシャアズゴに腹を突かれるシーン
・ドダイに乗ったグフ
・ジェットストリームアタック
・ソロモンでガンダムがビグザムを真っ二つにするシーン
・アバオアクーで首なしガンダムがビームライフルを真上に打つシーン
等、ガンオタならずとも良く知られている名シーンを再現した。

なんだか懐かしくて気持ちよくなってきたので、名ゼリフを紹介!
・軟弱者
・ザクとは違うんだよザクとは。
・親にもぶたれたことないのに。
・坊やだからさ。
・ぜ、全滅だと、3分も持たずにか。
・見えるぞ、私にも敵が見える。
・ぼくにはまだ帰れる場所があるんだ。
・見せて貰おうか、連邦軍のモビルスーツの性能とやらを。
・アムロ行きまーす。

でも「アムロ行きまーす」はガンダム出撃時の決め台詞の様に捉えられているが、実は一度しか言っておらず、しかもガンダムではなくコアファイター出撃時である。

ジオラマに飽きるとそれを破壊してあとは押入れ行きだった。ただビグザムを分解して、宙に投げたら天井に突き刺さって落ちて来なくなった。天井に刺さったまま忘れ去られたビグザムは私の人生に大きな転機を与えてくれる事になる。それはまだ先の話。

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私 ”骨折”

2015/11/12 08:00
品質管理本部 松岡です。

数年前に右腕を骨折した。
自転車に乗れる様になったばかりの娘と自転車で並走していた所、自転車どうしが接触し、娘を潰してしまいそうになったので、腕でガードしながら倒れた。腕には激痛が走り、直ぐには起き上がれなかった。やせ我慢をして娘には悟られない様に心掛けたが、油汗を掻く様な激痛だった。暮れなずむ頃の事故だったので、時間が解決してくれる事を期待し、シップを貼って早々に寝たが、次の日、当てが外れ痛みは倍増していた。仕方なく医者に行った所、骨折が発覚。全治1ケ月。

実は4度目の右腕骨折で3歳、5歳、9歳と3度同じ所を骨折した事がある。

3歳;忘れた。
5歳;二段ベットの上段から飛び降りた。
9歳;兄に押されて、変な体勢で転んだ。

3度目は骨を折ってもそれ程、痛みはなく、自力で直してやろうと、隠しながら学校に通った。
ただ腕が曲がらないので、苦労した。
書く、食べるは左手でクリア、体育も水泳だったので問題なかった。一番バレるかと思ったのが、音楽。
左手だけでは、たて笛でソラシドしか吹けない。ドレミファの穴を塞ぐ為に腕を曲げようとすると激痛が走った。
先生にはふざけていると思われたが、一度隠すと決めた以上、今更打ち明ける事は意思を曲げる事になり、また、兄のせいで怪我したというのは、人に責任を押し付ける様で、美徳の範疇からは逸脱していた。

しかし、3日後位にバレた。親、兄弟、友達、先生とみんなには隠し通せたのだが、手を洗っている姿を見たばあちゃんに感づかれゲームオーバー。「なぜ、言わなかったの?」と問われたが、本当の事を言うのが恥ずかしく、「気付かなかった。」と答えた。信じてはくれなかったろうが、色々と察してくれそれ以上の追究はなかった。しぶしぶ病院に行った所、全治3ヶ月だった。

昔からそもそも病院嫌いなんだろう。
病院は病を治す場所という感覚よりも、患った人が行く場所⇒自分が患っていると思いたくない。自分は健康だとの楽観視が強く、殆ど行かない。ただ人には気になる事がある度に「病院に行って来なさい」と伝え、場合によっては強要する。完全に自分を棚に上げているというやつなのだが、もうそれもやめなければかな?
これからは毎年、人間ドックでチェックしよう。自分の体は自分だけのものではないのだから。

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私 ”謎”

2015/10/22 08:00
品質管理本部 松岡です。

夕まずめ、朝まずめは釣りのゴールデンタイムである。
時代は小学校低学年。毎日釣りに行っていたので、日の出/日の入りについて、時間だけでなく、太陽が昇る場所、暮れる場所の微妙な移り変わりをも事前に予想する事が出来た。

釣れない時には、
・なぜ太陽は予想される時間/場所に現れるのだろうか?それをズラす為には何をすれば良いのだろうか?
を考えながら時間を潰した。

@ ミサイルを撃ち込めば、太陽の位置が変わるかな?
A 全世界の扇風機を一斉に一定の方向に噴射すれば、地球の位置が変わるかな?
B スペースシャトルで地球を僅かながらでも引っ張れないか?
C 世界中の人々が5kgづつ太れば自転が遅くなるかな?
D みんなが全員東にダッシュしたら、自転が遅くなるかな?
E どれも1つずつでは効果は少ないけど、全部をずっとやり続けたら少しは動くんじゃないか?

そんな実現不可能な事を考えた所で、毎日毎日決まりきった時間/場所に太陽は現れ続けた。
だから逆に、もし仮に太陽が少しでも違った時間/場所に昇った場合にどうなるのかを考えてみる事にした。

・地球と太陽の位置の乱れ⇒太陽系⇒銀河系⇒アンドロメダ星雲⇒・・・・・・⇒全宇宙の乱れ
へと連鎖的に繋がる。

考え方は、まず地球と太陽をジワジワとピンポン玉位の大きさに小さくして、脳ミソに収納する。それが出来たら、次に太陽系を小さく圧縮して行く。太陽系だけを圧縮するのであれば簡単なのだが、それでは地球/太陽との関係性が損なわれ連鎖が想像出来なくなる。よって、太陽系をピンポン玉に圧縮すると同時に地球を目に見えないレベルにまで小さくしていく事が必要となる。その後も連鎖を断ち切らない様に最終的に全宇宙をピンポン玉にする事はとても難しく、その圧倒的な質量に押しつぶされ息苦しい感覚を覚えた。そんな途方もない大空間を自分の脳ミソの中に押し込んで、解を得ようとする度に、喉の少し奥の上らへんがこそばゆくなり、それ以上の思考への挑戦を妨げた。残るのは、
@ 私の考える中枢は喉奥上部にあるのだとの認識。
A 毎日自分の周りに起こり続けている奇跡。
B 宇宙の壮大さ。
C 自分のちっぽけさ。
だった。

この思考の流れは今でもストレスに立ち向かう時に良く使っている。出発点は自分自身でそれをどんどん小さくしていく。大きなストレスが圧し掛かってきた時に、そんなストレスは取るに足らないちっぽけな事であり、例え失敗してもこの世を司るルールは全く変わらないし、命を取られる訳でもないと考えると気が楽になる。
その次にこのストレスに立ち向かえるのは自分しかいないと自らを奮い立たせ、その戦いに好んで没頭する。そうするとストレスさえも充実感に変わっていくのだ。

朝まずめが終わり、家に帰って歯磨きをする時に思った。このハミガキ粉はチューブをぐちゃぐちゃに揉んでから出しても白と青のストライプが乱れず綺麗に出て来る。どうしてなんだろうか?
そんな、取るに足らない事に何でもかんでも興味を持った。

つれづれなるままに日暮らし、硯にむかわずとも、心にうつりゆくよしなし事を、
そこはかとなく考えれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

そんな少年時代だった。あらためて思うのは、そんなどうでも良い謎解きの思考が今とても役に立っている。

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私 ”趣味”

2015/10/01 08:00

品質管理本部 松岡です。

 少年期の趣味はガンダムと釣り。
毎週日曜日、ガンプラの整理券を求めデパートに朝8時位から並んだ。(開店は10時)
シャアゲル、ガンアーマーを買えた時は、一生分の幸せが舞い込んだ気分になり、1/550ビグザムしか残っていなかった時は、凹みに凹んだ。

 釣りは海、川、沼、湖、ヘラブナからブラックバス、ハゼからイシダイ、何でもやった。
玄関開けたら5秒で川だったので、トイレに行く様な頻度と感覚で釣りをした。
なぜそんなに気に入ったのか考えてみると、
 ・一人でも出来る。
 ・好きな時に出来る。
 ・気軽に出来る。
 ・お金がそんなに掛からない。
 ・家に帰らなくてすむ。

 誰に気兼ねする事もなく、自分で全て決められるのが良かった。昔っから自由を好んでいた。
毎年、お年玉を貯めて、竿やリール、仕掛けを買おうとしたが、なかなか大金を投資するには勇気が要り、悩んでいるうちにサイフごと全額落とすのが常だった。その時はビグザムの比ではなく、廃人になった気分だった。だから今でもサイフは持たない主義だ。

 最近、1人飲みを覚えた。みんなでワイワイと盛り上がり飲むのも好きだが、日常をしばし忘れ1人グラスを傾け、たそがれるのも良いものだ。何に気を使う訳でもなく、時には一人で一言もしゃべらず、時には、たまたまそこで出会った方と飲み明かしたり。ここにも釣りと通じる自由が存在している。

 思い起こすと入社当時は殆ど酒は飲まなかった、私自身、ストレスを溜めるタイプではないと強がっているが、それでも溜まるものは溜まっているのだろうか?、はたまたコミュニケーションの大事さに気付いたからなのだろうか?、恐らくその両方であろう。最近では、酒の席は皆勤賞の勢いである。
 とはいえ、酒の味は全く分からない。この間、一本18,000円のワインを頂いた、目を瞑って飲むと、うまさ以前の問題で、赤なのか白なのかさえ分からなかった。答えはロゼだった。むろんその銘柄も記憶にない。家族旅行に行って、開放的な気分になり、こじゃれた酒を買って来ても、家では封も開けない。なんどきも「酒」が目的なのではなく、「酒の場」が主目的なのである。

 今の目標は、ワンカップが山田錦の大吟醸よりうまく感じる、そんな忘年会にする事。
その為にもうひと踏ん張りがんばりましょ!

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私 ”慣わし”

2015/09/09 08:22
品質管理本部 松岡です。

私の家には変わった慣わしがあった。

その1 ; 休みの日は10時前に起きてはいけない
 小学校低学年位の時は早起きするとうるさいとの理由で「いい加減にしなさい!」と怒られた。その頃、親の意見は絶対だったので、布団に入りながら「まだ起きちゃダメなのぉ?」と連呼していたが、「ほんとに、いい加減にしなさいよ!」と輪を掛けて怒られた。ようは親が寝ていたいだけなのだ。

その2 ; お風呂/着替えは1週間に1度
 小中学校の時は日曜しかお風呂に入らなかった。私だけでなく一家全員、週一が当たり前だったので、何も違和感はなかった。ものごころついた兄が毎日入り始めたのだが、「カッコ付けやがって」と思っていた。中2位で新陳代謝が活発になり、体から異臭を放つ様になって、ようやく週一がおかしいのが分かった。

その3 ; ヤクルトは弟しか飲んではいけない
 理由は分からないがヤクルトは祖母が弟の為に買っている飲み物で、私が飲むと怒られた。弟が美味しそうに飲んでいるのがとても羨ましかった。大人になってから、同じ味なのに大容量であるビックルが発売され、感激した。くやしさを晴らす為に大人買いして一気に飲んでやったら腹をくだした。

その4 ; 風邪をひくと本を買って貰える
 風邪をひくと母はとても優しくなり、本を買ってくれた。とてもうれしかった。“地球のふしぎ”や“発明のふしぎ”等の“ふしぎシリーズ”にのめり込んだ。理系に進んだのはこの本の影響が大きい。

その5 ; 門限はなく、何時に帰っても怒られない
 ほったらかしなのか、自主性を尊重してなのか、門限はない。9時でも10時でも、連絡しなくても全く怒られなかった。

その6 ; 西武警察を見たら寝なくてはいけない
 門限はない癖に、日曜8時からの西武警察を見終わると寝なければ怒られた。どういう事だ?
テッテッテー テーテーテ テェテッテー ♪それにしても大門は、かっこいい!

その7 ; 夜店で買ったヒヨコが育つと、突然いなくなる
 祭りでヒヨコをついつい買ってしまった。3ヶ月位たって大きくなると、決まって前触れもなくいなくなった。幼稚園に寄付したとか、逃げたとか言われた。それが3度位続いた。

その8 ; その夜は決まって・・・
 いなくなった夜は決まって、鶏のから揚げだった。

うちだけじゃないですよね。皆さんの家にも、「なぜ?」って思う決まり事ってありませんでしたか?


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私 ”やんちゃ”

2015/08/19 08:39
品質管理本部 松岡です。

経営システムのNさんに、「松岡さんって、やんちゃ坊主だったでしょ!」と問われ、思い返してみた。
まずは、“やんちゃ”を正確に捉える為に、辞書を引いた。

やんちゃ
1、子供がだだをこねたりいたずらしたりすること。
  また、そのさまやそのような子供。
2、俗に、若者の素行がよくないこと。不良少年であること。

上記で当てはまるのは“いたずら”というワードだけだろう。

確かに色々といたずらした記憶はある。
・食器棚に積み木を接着剤でくっ付けた。
・ふすまを小遣い帳代わりに落書きした。
・スプリンクラーの上に乗って水が噴霧されない様にした。
・温泉の元栓を締め、温泉管を破裂させた。
・みかんを買ってくる様に頼まれお使いに出たが、バナナを買って帰った。
・観光客の外人さんを家に連れて帰った。
・家の前で「火事だ!」と叫んで、近所を驚かせた。

誰しもがこんな経験はあるだろうが、驚くべきはいたずらをして怒られた記憶がない事だと悟った。
(いたずら以外ではいくらでも怒られてたが)

なぜ怒られなかったのか思い返してみた。
いつだか、「ガラス扉にくっ付いている積み木は、お前が開けやすい様にと、私を気遣ってくっ付けたものなのよ。だから悪い事ではないのよ」と母に言われた。

更に思い返すと、
・小遣い帳は目が悪くなってきた両親のため
・スプリンクラー、温泉は節水のため
・みかん→バナナは家計のため
・外人さんはサプライズをプレゼントするため
・火事は避難訓練のため

いたずらって意外と理由があるもので、そんな理由を汲み取って怒られなかったんだろう。それ故、やりたい様に、のびのびと育ててくれたが事が、現在のチャレンジ思考に繋がり、私の源になっているのだと思うと、とてもとても変な親だけども感謝したい。また、それに気づかせてくれたNさん、ありがとうございました。

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私 ”恐怖”

2015/07/23 08:00

品質管理本部 松岡です。

小学校低学年の頃、この世の中で最も怖かったのは「死」である。

「死」という現象そのものが怖いのではなく、その後の「無」という状態がとても怖かった。自分という存在がこの世からなくなる事が怖いのではなく、自分の魂、いや意識と言った方が近いだろう、その自分の意識が消滅してしまうのがとてつもなく怖かった。
 意識が消滅してしまうと自分はどうなるのだろうか?
 消滅してしまうのだから、自分がどうなるもこうなるもない。
 輪廻転生を信じたいが生まれ変わっても結局、今の自分の記憶はない。
 それは意識が消滅したのと同じ事ではないか。
 ノストラダムスの大予言は当たるものと思っていた。だから自分は27歳で消滅してしまうはずだと。
 いったい消滅とはどういう事なのだろうか?
 考えれば考える程、怖くなった。

中学、高校、大学、社会人と歩み、時の流れと共にそんな怖さも日に日に薄れて行った。
家族やみんなと会えなくなる寂しさはあるが、今ではもう全く怖くない。「死」の為に生きている感じさえする。
ある意味「死」を待ち望んでいる。
これは死にたいという感情でなく、「死」の瞬間に、「いい人生だったね」と満足感を得たいという欲求だ。この極上の満足感を得る為に私は生き、悔いのない人生を歩もうとしている。
そうだ、私の最終最大目標は、社会貢献する事でも、良い暮らしをする事でもない。「いい死」を迎える事である。
その為に「今を生きている」のである。
こんな事を考えている私は病院に行くべきなのでしょうか?

皆さんは何の為に生きていますか?

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私 ”忍者屋敷”

2015/07/02 08:00

品質管理本部 松岡です。

私が住んでいた伊東の実家はちょっと変だった。
家庭は言わずもがなだが、建物そのものが変わっていた。

2階建ての11LD2K、フロ2つ、トイレ4つ、階段2つ。これ以外にも入った事がない部屋や、空けた事がないトビラがいくつかあった。
部屋数的には大豪邸だが、そうではなく、6畳程度の部屋が忍者屋敷の様に入り組んでおり、家の中にはものが溢れ、非常に狭く、TVなんかは私が知っているだけで7台もあった。外観は木造茶色い家でボロい。

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私の家だけではなく、伊東に昔からある親戚の家も同じような感じだったので、幼少期はそれが普通だと思っていたが、小学生になり友達の家に行くと、自分の家が普通でない事を思い知らされ、落胆させられるので、友達の家には行きたくなかった。自分の家にいるのも好きではなかったので、雨でも、雪でも可能な限り外で遊んだ。いや、遊んだというより過ごしたという方が近い。中学/高校では部活とバイトで忍者屋敷は寝る為だけの建物となった。

自分の唯一の長所は、いつでも、どこでも、どんな境遇でも生きていける生命力だと思っている。
それは、こんな“忍者屋敷”とそこに住まう“もののけ達”のおかげで培われたものなんだと思う。

親戚のN君は唯一、私と同じ様な境遇であったので、気心が知れた仲でとても気が合い、幼小中高通して一番の親友だ。思い返すと、殴り合いのケンカが出来る程のなかは彼だけだ。彼は今、ボランティアで世界各国を回っている。彼もまたどんな境遇でも生きていける人で、私はそんな人間が大好きだ。

なので、常に思い悩んでいる弱っちい奴を見ると、手を差し伸べたくなるのではなく、ぶん殴りたくなる。
そんなに悩んで何の得になるのさ。
あなたより不幸な人なんて、ごろごろいるよ。
人は同情してくれない。逆にめんどくさがってるよ。
解決したいなら、自分が変わるか、その環境から逃げるか、自分で環境を変えるかしかないんだ。
さあ、どうする?






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私 ”モテキ”

2015/06/12 08:00
品質管理本部 松岡です。

 人生最大のモテキは幼稚園時代にやってきた。
途中入園であったのだが、なぜか私の父が芸能人だとの噂がたっていた。
先生も「そうなんだってね」と話しかけてくるものだから、「もしかしたらそうなのかも知れない」と思ってしまった。兎角、人を疑う事を知らなかったので、入園早々「歌を作ってくれ」とみんなにリクエストされ、その気になり即興で作曲して歌って見せた。
 小学校4年生位までリクエストされ続けたので、即興時とは少々感じが変わったが、今でも覚えている。
手を繋いでごらん、○○○幼稚園、
青い青い空の下、赤い赤い大地の上、
友達と繋いでごらん、○○○幼稚園・・・・

 芸能人、作曲、転入生等の興味をそそる話題を重ねて持ち合わせていた為、とてもモテた訳だ。
覚えているのはK山さん、AS子ちゃん、H美ちゃん。
特にH美ちゃんととても仲が良く、毎日遊んでいた。みんなには冷やかされたが、男女という感覚がまだなく、女の子と遊ぶと冷やかされる事の意味が分からなかった。意味が分からないまま、卒園を迎え早すぎるモテキも終わりを告げた。

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 小学校に入学し、いつも明るく優しい担任のN島先生に憧れを持った。そのN島先生がある時、「席替えをするので、隣どうしになりたい子を内緒で先生に教える様に」という、一大イベントを催した。私は「先生」と言いたかったが、恥ずかしくて「いねーよー」と大声で照れ隠しをしながら、小声で「AY子ちゃん」と少しだけ気になっている子の名前を伝えた。AY子ちゃんは芸能人で言うと広末涼子の様な透き通った感じの子だった。言ってしまったからというのが強いが、それから意識する存在になっていった。「初恋は?」と問われるとAY子ちゃんを思い出す。

 AY子ちゃんとは小学校1、2年の時はとても良く話した。その後小中高と一緒だったにも関わらず、同じクラスには一度もならなかったので、覚えている限り一言も話さずに大学生になった。

 幼稚園卒園後、人生に三度あると言われているモテキは二度と訪れる事なく、鳴かず飛ばず。もの心付いた頃から、クリスマスには「敬けんな仏教徒」だと自分に言い聞かせ、バレンタインdayには何の意味も持たない義理チョコをこれ見よがしに目に付くところに出して、アピールしたりするのが常だった。

 大学二年の夏休み、鈍行列車で帰郷した。伊東駅から自宅までの帰路、デパート前にかわいい子が1人で立っているのが見えた。近づいていくと、それは広末涼子ちゃんだった。めちゃめちゃ美人になっている。

AY子ちゃんまで、あと50m
    やっぱ、1人だ、何してるんだろう?

AY子ちゃんまで、あと40m
    声かけても大丈夫かな?でも知らんぷりされないだろうか?

AY子ちゃんまで、あと20m
    お、こっち見てる。めちゃくちゃかわいくなってる。

AY子ちゃんまで、あと10m
    やべ、目が合った。しかも、微笑んでいる。なんて声掛ければいいんだ?


と独りよがりの思いを巡らせながら、セカンドインパクトの瞬間を迎えた。


その後、どうなったかは、また別の機会に・・・・。









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タイトル 日 時
私 ”引っ越し”
 私 ”引っ越し” 品質管理本部 松岡です。 ...続きを見る

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2015/05/25 08:00
「私」
 「私」 品質管理本部 松岡です。 ...続きを見る

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2015/04/30 08:00

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